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2013年09月21日

亡き友にささぐ柔の道

先日の地元紙の朝刊で、「亡き友へささぐ柔の形」というタイトルが目に止まった。
8月31日に行われた第22回岩手県柔道形演武大会に於いて、地元一関市赤萩在住の松岡良浩(一関柔道協会理事長・50才)五段と同市萩荘の佐藤一利(25才)二段の両名が、優秀賞に輝いたとのことだった。

今から10数年前、松岡氏の学生らいの友であり良きライバルでもあった石川康樹(故)氏と、同演武大会に出場する予定だった。
当時両名とも、仕事に追われながらも寸暇を惜しんでひたすらその大会を目指し、稽古に励んでいた。
だが大会を2が月後に控えたある晩、無念にも、石川氏がトラックの衝突事故により帰らぬ人となった。
未だ不惑前の30代後半であった。

その突然の訃報に、松岡氏は痛哭し、言い様のない愁嘆の念に襲われ、暫くは立ちあげれなかったという。
道着を着ることすらできなかったとのことだった。
結局、当時の演武大会への出場を諦め、暫くしてから母校一関学院高等学校柔道部のコーチを引き受けるなど、学生らの指導にあたっていた。

そんな矢先、自身が理事長を務める一関柔道協会所属の佐藤一利二段とともに、再度演武大会にチャレンジすることになった。
同演武大会は「投」「極」などの七つの形があり、そのうちの一つ「柔の形」に出場。
そのなかでも松岡五段は「取」、佐藤氏は「受」を受け持ち、大会に臨んだ。

ついに念願の出場を果たし、地元一関柔道協会では、菊地俊郎(一関柔道協会副会長)さんらがやはり優秀賞に輝やいて以来、17年ぶりの栄冠を手に入れたのだった。
松岡氏が謂うには、形の途中、時折前にのめりそうになったり、バランスを崩しそうになった時など、どういう訳か自然に姿勢が正されたと話していたが、当時一関商工高校柔道部三羽烏とうたわれ、地元の学生柔道界では知る人ぞ知る一人であった前出の石川氏や、元陸前高田市在住で、東日本大震災で津波の犠牲になった村上(故)氏が、演武の途中見守ってくれたのではないかと話していた。
正しくそのとおりだったのかもしれない。

友人おもいで、誰彼問わず公平に人と接し、他人のことを我がことのように心配し、気遣う心優しい松岡氏の人柄だからこそ、彼らは天国から応援に駆けつけて来たのではないだろうか。彼の為人が如実に物語る逸話であった。

因みに松岡氏の生業は柔道整復師であり、一関学院高等学校の直ぐ近く、国道を挟んで南側に松岡整骨院を営んでいる。黄色の看板が目印だ。
治療の腕前は勿論だが、彼の優しさがしみじみと伝わり、心までもが癒やされる施術を受けてみては如何だろうか。

指導問題や不祥事で何かと世間を騒がせた柔道界だが、個々の人物をみれば皆素晴らしい人物ばかりである。
古き慣習に流された古き体質に問題があるのかもしれないが、じきにそれも解消されるものと思っている。
ただそれと同時に、数十後、或いは数百年後に、「かえって昔の体質の方が良かったよな~」などと、未来の賢明な人達は思うような気がしてならないことを、一応記しておきたい。・・・


亡き友にささぐ柔の道


タグ :柔道短歌

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Posted by ワイルドパワー at 13:52│Comments(0)短歌・以外にも
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